
<46th> ティンカー・ベルにサヨナラを
歌詞
1 目を覚ましたら 遊園地
思いっきり遊んだ後は 疲れきって また夢の中
ワープしてるみたい
弁当のおかずにさえ 気に入らない時は文句
わがままを許してくれてた 幼かったあの日
何でもできる そんな気がした 未来だけ見据えて
忙しない日々に追われるたびに
子供の頃に戻りたくなる
自由に外を走り回るように
楽しいことだけ 遊んだ毎日に
2 渋滞を抜けた先に 浜辺にパラソルを立てて
はしゃぐ姿見守りながら お酒はお預けで
叱る側の気持ちなんて考えたこともなかった
嫌われることも優しさと気付いたよ 初めて
守るべきもの 守り抜くため 今日も戦うんだ
誰も褒めてはくれないとしても
愛しい寝顔が癒してくれる
子供に戻れる魔法があっても
もう要らないんだ 今を生きてるから
愛することの責任と覚悟に
悩んだ夜も 涙の夜も
日が昇り 今日から新しい世界へ
わがままな夢の国に 別れ告げて
コメント
「クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ‼オトナ帝国の逆襲」という映画をご存知でしょうか?クレしん映画屈指の感動回です。オトナ帝国により、大人たちが洗脳されて子供時代に戻ってしまいます。子供たちにとっては、時間は逆回転を始め、未来は奪われたことになります。そこで、しんちゃんが両親を洗脳から目覚めさせ、秘密結社と対決するという話です。この映画の感動ポイントは、中盤の「ひろしの回想」と終盤の「21世紀を手に入れろ」です。
この中でも特に「ひろしの回想」が好きです。映画も何十回も見ていますが、この部分だけも動画で何十回も見ています。その度に未だに泣けます。BGMだけで、父親ひろしの少年時代、父親の漕ぐ自転車の後ろで眠っているシーンからスタートし、青春時代、上京、みさえとの結婚、しんのすけの誕生、家族団欒、自分の漕ぐ自転車の後ろにはしんのすけがいる・・・とセリフなしで人生を駆け抜ける回想シーンです。
このシーンがなぜ泣けるのか、ずっとわかりませんでしたが、ゆっくり考えてみました。ひろしは、子供の頃、父親の後ろで安心して寝ていたのです。それが、全く同じ構図で、大人になったひろしの後ろにはしんのすけがいるのです。スヌーピーのチャーリー・ブラウンの言葉らしいですが「安心って言うのは車の後部座席で眠ることさ。前の席には両親がいて、心配事はなにもない。でもね、ある時、その安心は消え去ってしまうんだ。君が前の席にいかなきゃならなくなるんだよ。そしてもういない両親の代わりに、君が誰かを安心させる側になるんだ」という名言とも重なります。
この映画では、大人達は昔を懐かしみ、子供に戻りたいと思います。子供とは気楽に自由に遊んでおり、忙しい大人の現実よりも、子供に戻った方が楽しいのです。しかし、ひろしは回想で思い出しました。甘える側だった自分も、いつしか大切なものを守る側の人間になっていて、仕事で疲れて帰ってきて、家族が暖かく迎えてくれる喜びを噛みしめます。そのことを思い出してから、もはや再び子供に戻りたいとは思いません。目の前のしんのすけを泣きながら抱きしめます。
「大人になる」とは、こういうことなんだと思いました。「守られる側」は、安心で幸せです。しかし、いつか「守る側」に移動しないといけないのです。甘えられる側、与える側です。責任も発生します。当然痛みや苦しみもあるでしょう。しかし、それを上回る幸せがあります。それは、ひろしの回想でよくわかります。この映画は、大人になる、つまり守られる側から守る側に行く、その葛藤、決意、そして幸せを描いているのだと思いました。
先日、カフェで店員にコーヒーをこぼされた時に、僕は怒ったり変な要求をせずに静かに対応しました。それだけで合格点ではあったかもしれませんが、むしろ店員を励ましたりするくらいの、もっと優しい対応はできたはずだと反省しています。自分はコーヒーにお金を払っているので、サービスを受ける側なのは確かですが、本当の「大人」であれば、常に誰かを「守る側」でありたいですね。それは勇気がいりますが、確かに幸せなことであるはずです。