
<54th> 星の願い
歌詞
1 大好きだった あの人とは
もう会えなくなったよ
時の流れを感じるたび
寂しくなるけど
どんな宝石さえも持っていけない
場所へいつの日か旅立つから
愛する笑顔と楽しい思い出に
包まれて眠ることができるなら
私はみんなの心の中で生きていける
そう信じている
2 脇目も振らず 働いてきた
たくさんのもの手に入れた
だけどそれより大切なこと
やっと見つけたよ
何を残せるのかな?
私の生きる世界に少しだけ跡をつけて
誰もが欲しがるようなものではなくても
きっと私と繋がれるもの
たくさん交わした言葉と時間こそが
未来と今を結ぶもの
だからあなたを想って
明日も明後日も生きていく
愛する笑顔と楽しい思い出に
包まれて眠ることができるなら
私はみんなの心の中で生きていける
そう信じている
だからあなたを想って 願いを叶えるよ
コメント
「あの世(天国)には何も持っていけない」という言葉があります。過度な貯金を批判したり、ミニマリスト志向を促すような文脈で使われることがあります。確かにそうだと思わされます。コレクションも、お金も地位も名誉も、自分が死んでしまえば、あの世に持っていくことはできません。
しかし、この言葉は悲しさよりもむしろ勇気付けられる言葉だと思います。生きているうちに、何をすべきかということに対して指針となってくれるからです。
モノやお金などを自分のところに「手に入れる」よりも、社会に対してどれだけ自分の存在を「置いていく」ことができるかということを考えてみましょう。
自分が死んでも、社会に置いていくことができるものとはどんなものでしょうか。それは形のあるモノでなくても、家族や友人との「思い出」でもいいのです。「人は二度死ぬ」という言葉があり、一度目は肉体の死、二度目は忘却です。このように、人の記憶に残ることができれば、自分がいなくなっても、その人の中に生き続けることができます。
一緒に過ごした時間による思い出に限らず、子供や孫に対して昔話をしたり、教育をすることでも、その人の中に自分の存在を残すことができます。家族ではない他人であっても、仕事で良いサービスをして、記憶に残ることができるかもしれません。
また、子供や孫そのものが、自らの遺伝子であり、この世に残した宝物に他なりません。
記憶だけでなく、実際に情報として社会に残すこともできます。今の時代は、個人的な考えを日記帳だけでなく、ブログ等としてネットワーク上に気軽に共有することができます。科学的な発見をした人は、今でも名前が残っている人が多いでしょう。芸術的な分野でも多くの人に影響を与えることができます。
そして、モノもあの世に持っていくことはできませんが、この世に残していくことはできます。社会の中で、仕事を通じて有形の価値を社会に対して生み出している人も多いと思います。ほとんど全ての仕事は、社会に対して何かの価値を提供しているので、それだけで自分の生きた証になります。
このように、よほど誰とも関わらずに生きていこうとしない限り、誰かに常に影響を与え、一緒に過ごした時間の思い出として、自らの存在が社会に記憶・記録されていきます。人生を通じて、何を「手に入れる」かよりも、何を「置いていく」かを考えて生きていると、最期の時により充足感を持って目を閉じることができるのではないでしょうか。最期に旅立つときには、周りの人に対して、命の儚さと大切さを教えるという仕事もあります。