
<55th> 涙が枯れた後にも
歌詞
1 明日が来るか 分からないなんて
泡のような命なんて 知ってたけれど
怖くなるんだ 何が起きるのか
分からないまま進んでいるような気がして
私をつくる 大切なもの
誰にでもきっとある譲れないもの Ah
優しい顔で 明るい声で
暖かな手を差し伸べてくれるのは誰?
2 灯りを消して 涙も枯れて
ただ夜が明けてその先に残ったもの
弱くてもいい 本当の自分と
残された時間があれば
まだ生きていけるんだろう きっと
私の半分 持って行かれても
追いかけて行くには まだ少し早い Ah
何もかもすべて 失くしたとしても
最後まで奪われないものは この中に
コメント
得意にできていたことができなくなることはとても辛いことです。特に、仕事にしているくらい得意なことを突如失ってしまうことは、アイデンティティの崩壊とも言えるほどの衝撃になるのではないでしょうか。
例えば、自分の見た目に何よりの自信を持ってアイドルとして活躍している人が、事故で顔に傷を負ってしまった時の苦しみは、人前で仕事をしていない人とは比べ物にないくらい大きいでしょう。
スポーツ選手がその全盛期に事故や怪我で突然選手生命を絶たれてしまうことは、スポーツこそが自分そのものであると思っているところで、その全てを失ってしまうことを意味しますので、一体どれほど大きな喪失感になるでしょうか。
ヘミングウェイの『老人と海』という物語は、かつては腕のいい漁師だったが不漁が続き苦しんでいる老人が主人公です。元々ダメな漁師が不漁であることよりも、かつては腕のいい漁師が不漁である方が、はるかに苦しいことであると想像されます。
元クリスタルキングの田中昌之さんは、超ハイトーンな歌声で一世を風靡しましたが、野球の事故で喉を負傷して以降は、その圧倒的な高音は出なくなってしまいました。その後もボイストレーニングにより、歌手として活動を続けられましたが、当時は本当に辛い思いをされたのではないかと想像せざるを得ません。
アイデンティティとはつまるところ「自分とは●●である」「自分は▲▲する人である」というものであり、それを失ってしまうことは、相当な苦しみになります。ここでポイントになるのは、当たり前のことですが、何をアイデンティティとするかは、人によって違うということです。
身体を怪我してしまった時の苦しみは、自分にとっては大したことがないと思ったとしても、誰かにとっては非常に重大であることがあります。逆に、自分にとっては大変に辛いことも、他の人にとっては、それほど大きな苦しみであると理解されないこともあるかもしれません。
自分や周りの人が、何に対して苦しむのかは、決して同じではありません。この前提を忘れてはいけないのだと思います。自分の苦しみに共感してもらえないことに怒ってはいけませんし、人の苦しみを自分の尺度だけで考えてはいけません。その人にはその人なりの苦しみがあるということを想像してみることが必要です。
この想像力があれば、世界はもっと優しくなるはずです。