<9th> 生命の大地

2015年09月05日



歌詞


1 走る 風の中で 感じる自然の力強さ
  歌う 灯りを囲み 通じる 言葉じゃなくても

  大地も凍てつく冬 冷たい運命(さだめ)越えて
  緑が帰る日まで待っている

  生きているんだ 鳥も人も
  まだ見ぬ豊かな場所を目指し
  生きていくんだ 命をもらって
  道なき道を前へと進むんだ


2 なぜだろう これ程にも 優しくしてくれるのは
  なぜだろう これ程にも 楽しそうに笑えるのは

  厳しい乾きの季節も 分かち合う恵み
  細く浅い川ほど 枯れずに続く

  生きているんだ 矛盾を抱え
  それでもより良い明日を描く
  生きていくんだ ここにいるんだ
  悩みも傷も もう何でもいいさ


  広い大地 無限の宇宙(ほし)
  自分のちっぽけさに気づいて
  生きていくんだ 生きていくんだ
  みんなといれば 何も怖くはないさ


コメント


この曲はモンゴルを訪れて感じたことのダイジェストです。
それぞれの歌詞に意味を込めましたのでご紹介します。

走る 風の中で 感じる 自然の力強さ

広大な草原を移動していると、どこまでも続く景色に圧倒されました。路にゴミが落ちているところもありましたが、それすら大した問題ではないと感じました。自然があまりにも大きかったからです。人間が多少悪さをしても、それで簡単に壊れてしまうような自然ではないなと思いました。


歌う 灯りを囲み 通じる 言葉じゃなくても

キャンプ地に宿泊している時にも、近くのゲルで楽しそうに歌っている声が夜中まで聞こえてきました。それを子守唄に床に就いたのを覚えています。また、私たちもキャンプ地や友人の家で歌を歌いました。言葉は違えど、きっと何かは通じたでしょう。


大地も凍てつく冬 冷たい運命(さだめ)越えて
緑が帰る日まで待っている

私たちがモンゴルを訪れたのは8月でした。昼は日差しが強く、夜は冷え込みました。一方、モンゴルの冬は大変厳しいようです。寒さや雪が原因で家畜が大量に亡くなったりすることがあり、「ゾド」と呼ばれます。しかし、「ゾド」は単なる災害ではなく、ある種運命的なものであり、生きている以上は仕方のないものだと捉えられているようです。


生きているんだ 鳥も人も まだ見ぬ豊かな場所を目指し

モンゴルでは、人間も、ウマもウシも、ヤギもヒツジも、犬も一緒に生きていました。当たり前のことのようですが、人間だけが暮らす世界にしばらく住んでいた私にはこれが刺激的でした。


生きていくんだ 命をもらって 道なき道を前へと進むんだ

モンゴル滞在中、たくさんのお肉を食べました。私たちは、生きものから命をもらって生きているということを再確認するとともに、感謝を忘れてはいけないなと思いました。
モンゴルの大草原を移動する時には、時には轍のないところを進むこともありました。360°の大地に囲まれると、どっちが前で、どっちが後ろといった概念はないと思いました。むしろ、「自分の向いている方向」が前であると直感的に感じたのです。


なぜだろう これほどにも 優しくしてくれるのは
なぜだろう これほどにも 楽しそうに笑えるのは

モンゴルでは、非常に多くのもてなしを受けました。ゲルを訪れれば必ず馬乳酒や乳製品を振る舞われ、都市の家にお邪魔しても、手料理を振る舞ってもらいました。初めて訪れてくる私たちを、これほどにまで暖かく歓迎してくれることに対して、不思議だとすら感じてしまったのが正直なところです。日本とはまた異なるホスピタビリティに感動しました。


厳しい乾きの季節も 分かち合う恵み

私たちが訪れた2015年の夏は、特別に乾燥していたようです。滞在期間中も、雨が降ったのはわずか数回でした。そのためか、本来美しい緑色になるはずの草原も、心なしか、色褪せていました。また、モンゴルでは雨が降ると「天気がいい」と考えられているということに最初は驚きました。水は貴重で、手を洗ったり歯を磨いたりする時も節水。シャワーは毎日浴びるものではありませんでした。水の有難みというのを気づかされました。


細く浅い川ほど 枯れずに続く

草原で昼食を採った後の休憩中、川の探索をしました。湖から流れた川は分岐していて、片方は枯れていました。もう片方は、僕たちがご飯を食べたところに繋がっていました。下流ではなく上流のようです。上流を確かめに行くと、とても細く、草の下に水が流れている(湿っている)だけでしたが、蛇行しながらも長く続いていました。一方、僕たちが食べたところは、かつてとても大きな川だったようです。広く深い溝。かつて大きかった川は完全に枯れてしまい、細い川は日差しの下で生き残っています。何故でしょうか。


生きているんだ 矛盾を抱え それでもより良い明日を描く

モンゴルは、外からの力に巻き込まれ、大きな変化の時代を迎えています。社会主義圏に取り込まれ、伝統的な文化を破壊され、さらに社会主義から資本主義へとパラダイムが変わり、周辺国や世界中から影響を受けるようになりました。自然の上に成り立つ遊牧を行いながらも、川を掘り返して砂金を拾う。そんな矛盾を抱えながらも、人々は明るく、懸命に毎日を生きている、そんな姿を垣間見ることができました。


生きていくんだ ここにいるんだ 悩みも傷も もう何でもいいさ

「何でもいい」というのは、私がモンゴルで感じたキーワードの1つです。草原にはトイレがないので、草原をトイレにします。それは例の1つですが、モンゴルでは細かいことは気にしないで、のびのびと生きていくことができました。日本にいるときには忘れている、もっと大事な何かがここにはある。私が悩んでいることよりももっと大きなものがある。そう思ってから、小さな悩みはもう何でもいいんだと感じました。


広い大地 無限の宇宙(ほし) 自分のちっぽけさに気づいて

山に登って頂上から見渡すパノラマの景色は感動的でした。どこまでも続く草原と高原。地球がどれだけ大きいか、自分がどれほど小さいかを考えさせられました。夜になると、日本ではまず見られないような満点の星空。流れ星も見つけるのにも苦労しません。もはや宇宙といってもいいでしょう。無数の星を自由に結んで、星座を自分で作っちゃおうなんて思ったりもしました。


生きていくんだ 生きていくんだ みんなといれば 何も怖くはないさ

「何も怖くない」というのは私がモンゴルで感じたもう1つのキーワードです。自然の中で、信頼のできる人に囲まれて過ごすというのは、非常に安心できるものでした。もちろん、近代的な医療もないし、自然が牙をむくこともあるかもしれません。それでも、モンゴルで私は心から感じました。みんなといれば、何も怖くはないさ、と。

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