<40th> 虹色の世界
歌詞
1 自分らしく生きたい
誰もがそう思ってる
本当の気持ちを 押し殺してる人も
遠慮しがちな人生
周りに合わせ過ぎて
人には迷惑かけてはいけないから
新しい土地に来て
どう振る舞えばいいのか
わからなくて
僕は青くて 君は赤い
君の見てる世界を教えて
塗り潰して消すのとは違う
新しい絵具を手にする
虹色の世界 みんな生きてる
一つの絵具では描けない
たくさんの絵具を集めて
君にも見せてあげる
2 空気を読み過ぎると
空気になってしまうよ
勝手に落ち込む
カメレオンみたいだね
暖かく迎え入れて
くれるのはわかってる
それでも所詮は
余所者なのもわかってる
傍若無人を見て
少し羨ましくもある
言えないけど
僕は青くて 君は赤い
新しい紫を作ろう
混ぜ合わせると深くなる
たった一つオリジナルの色
虹色の世界 みんな生きてる
無限の色が今日も生まれる
答えのない暗い世界にも
照らす色は見つかる
この世界は色眼鏡
十人十色だね
出会った世界に訪れて溶け込んで
自分の世界に彩を添えてみよう
コメント
「自分らしく生きる」
という言葉をよく聞きます。
自分を押し殺してしまい、自分の言いたいことが言えず、結果として不満が自分の中に蓄積してしまうような生き方をしてしまっている人もいる中で、一方で自分勝手に傍若無人にふるまうことは周りに迷惑です。
日本人は自己主張が弱いとよく言われます。
実際、アメリカや中国に行くと、皆が自己主張をよくするのでカルチャーショックを受けます。
また日本人は、国内にいる海外の方とコミュニケーションを取るときに、苦手なりに英語で話そうと試みるかと思います。
しかし中国に行くと、日本人でどう頑張っても全く中国語が理解できないにもかかわらず、全く曲げずに自国の中国語で話しかけ続けてきます。
このあたりも国柄の違いを感じました。
海外でなくても、国内でも新しいコミュニティーの人と交流する時にどのようにふるまうかということは大事です。
自分はこういう人でこういうことをやってきましたということをしっかりとアピールして覚えてもらうことが大事です。
一方で、その土地の人たちのことをよく理解することも重要です。
「郷に入っては郷に従え」という言葉もありますが、自分と異なる文化や価値観に出会ったときにどのようにふるまうか。
自分の考え方を出すか、あるいは郷に従い、受け入れるか。これは難しい選択です。
空気を読んで完全に郷に入って同化してしまえば、わざわざ外のコミュニティーから来た意味がないとも言えます。
しかし、いきなりよそ者が偉そうにあれこれ言うのも嫌悪感を持たれます。
突然抽象的な話になりますが、
自分が「青色の世界」という価値観で生きているとして、「赤色の世界」で生きる人に出会ったとします。
この時、自分を青色のままで生きるのか、一度赤色の世界に染まってみるかという選択肢があります。
ここで、一度相手の世界観・価値観に染まってみるのです。
すると、相手と同じ赤色の世界の人間として、同じ目線で考えることができるようになり、
そのコミュニティーのためになることを一緒に考えることができます。
それは喜ばれると思います。
そして、自分は青色の世界に加え、赤色の世界も使えるようになりました。
次に、黄色の世界に生きる人に新しく出会ったときに、同様に一度黄色の世界に染まってみるのです。
そして、自分は青色の世界と赤色の世界も知っているので、
その二つの異なる世界を黄色の世界の人に見せてあげることもできるのです。
黄色の世界の人からすると、自分以外の世界を二つ新しく見せてくれる人は新鮮な存在です。
こうして、自分は青色・赤色・黄色の三つの世界を知ることになりました。
自分は青色だから、と自分を変えなければ青色しかなかったものが、
相手に合わせて溶け込むことで世界は三倍広くなったのです。
これは自分を押し殺すこととは違います。
自分を押し殺すのは、自分の青色を塗りつぶして赤色に染まってしまうことです。
これでは自分の本来の色を失ってしまいます。
そうではなくて、意図的に取り入れて自分で使いこなすのです。
このようにしてのみ、自分を幅を大きくすることができるのだと思います。
そして、多くの世界を知れば、幅広い価値観のもとに判断をすることができます。
複雑な現実世界の問題を見るには、幅広い価値観があれば、より多面的・複眼的に見ることができます。
現実世界の問題を解決する結論を出すためには、この幅広い価値観、ここでいう、様々な色が必要なのだと思います。
相手の色に染まるということが、世界の誰とでも繋がれる方法ではないでしょうか。
世界で普遍的な色はなく、様々な色がある人達がいる虹色の世界です。
ある一色で全てを説明できることはなく、虹色を使い分けることが、唯一の普遍的な方法です。